実は・・・実話⑥-14

「独居房での生活はいつまで続いたんですか?」

「平成26年の1月から7月までです」

「長いですねぇ」

「まあ、そうですね。一番困ったのは4~7月ごろです」

「どうしてですか?」

「暑くなってくると、やはり汗かきますし、体が汗臭くなってくるんです。でも入浴は週に2回なんで、自分の汗臭さがたまらなくなってくるんですね」

「週に2回しか入浴できないんですか?」

「はい、それであまりに汗臭いんで、ついついタオルを水で濡らして体を拭いたんです」

「まあ、普通にそうしますよね」

「いえ、それが拘置所内では禁止されてるんですよ」

「えっ、そうなんですか?」

「はい、それが刑務官に見つかりまして、懲罰を受けました」

「懲罰ってどうなるんですか?」

「私の場合は1週間、独居房内でドアに向かってずっと座っているというものです。あぐらはかいてもいいんですが、姿勢を崩すことはゆるされませんのできついんですね」

「それはきついですね」

「まあ、ただ自分は座禅を組んでいると思って、いわゆる内観という瞑想にふけることにしました」

「う~ん・・・なんか前向きなようで、いいかげんなようで・・」

「でもやっぱり、自分にとって意味のあるものにしないとやってられないですよ」

「まあ、そうですね」

「それで7月に雑居房に移りました。」

「へえ、やっと人と話せる環境になったんですね」

「ええ、まあ、そうなんですが、どうもその雑居房では事前に刑務官から『かなりゆるいやつが入ってくるぞ』といわれていたようで、そこの住人は『ちょっとしめたろか』という思っていたそうです」

「えっ、じゃあ、いじめにあったんですか?」

「いえ、そんなことはなかったんですけど、そこの一番席の人は『オレがしつけてやる』という感じで思ってたそうですね」

「一番席ってなんですか?」

「部屋に入った順から一番席、二番席と席順が決まっていて、古い人ほど、まあ、その部屋のリーダー格になるわけです」

「へえ、じゃあ、何人いたんですか?」

「私も含めて6人です」

「何畳部屋なんですか?」

「9畳ですね」

「同居人とはうまくいきましたか?」

「かなりおもしろいメンバーでして・・・
国際商品先物の営業で億単位の金を集めて詐欺罪で起訴された吉田(仮名)さん、
借金の取り立てで恐喝した国松(仮名)さん、
元郵便局職員で6千万円横領した平山(仮名)さん、
コソ泥窃盗の白田くん、
奥さんとレスになってついつい従業員に強制わいせつした大塚さん
まあ、この5人でしたけど、
なんか面白かったですね」

「なんかすごいメンツですね」

「まあ、どちらかといえば軽犯罪のメンバーです。でも隣の部屋は殺人罪の被疑者が2人いましたんで、それからすると、普通に話ができる付き合いやすい人たちでした」

「隣の部屋は人殺しですか?」

「ええ、そのうちの一人は2歳になる実の息子の殺人で起訴されてますから、ちょっと、異様ですね」

「げっ、それはたまらんですね」

「ええ、その人は妖気が漂っていて、半径3メートル以内には近づけないほどでした」

「もう一人は出会い系サイトで知り合った女性とエッチしたあと、その女性から金銭を要求されて、振り切って車で去ろうとしたさい、その女性を引きずってしまって死に至らしめたという人で、もうこの人も病んだ表情をしていましたね」

「はあ・・・そうなんですか」

「だから、本当に殺人を犯したかどうかはその人の表情や雰囲気でわかります」

「そうなんですか」

「はい、そうですね。だから殺人の冤罪を主張している人を3人知っていますが、あっ、この人はやっぱり冤罪だなってだいたいわかります」

「殺人の冤罪はきついですね」

「まあ、そうですね。そのうちの一人は22年の刑期を終えて再審請求しています」

「22年の刑期ですか・・・」

「そういうヘビー級の人たちからすると、同居人は罪を犯したといっても社会では普通の生活をしていた人でしたので、普通の話ができてよかった方ですね」

「雑居房での生活はどうだったんですか?」

「それはまたのちほどお話しします」

To be continued・・・

実は・・・実話⑥‐13

Aさんとの対話は続く

「6か月間も人と会話ができないというのはちょっと想像できないですね」

「まあ、普通はそうです。接見禁止というのは弁護士以外とは話せないのですから。手紙のやり取りも弁護士以外は禁止です」

「ご家族のことは心配ではなかったのですか?」

「もちろん、心配ですよ。ですから、『無事なように』と祈るしかないですよね」

「はあ、そうなんですね」

「当時は特に信仰する宗教がなかったのですが、このことが私が宗教に関心をもつきっかけとなりました」

「どんな宗教に関心をもったのですか?」

「のちに刑務所に行くことになりましたが、刑務所では宗教講和を聴講することができたんです。」

「そこで、真言宗、金光教、浄土宗、浄土真宗、黄檗宗、臨済宗、カトリック、日本基督教団、パブテスト、天理教とあらゆる宗教講和を聴講しました」

「すごいですね」

「出所してからは、カトリックの洗礼を受けてます」

「弁護士とのやり取りはどうだったんですか?」

「弁護士とは主に手紙でやり取りして、週に1回30分ほどの面会が可能でした」

「どんな弁護士だったんですか?」

「まだ20代のイケメン弁護士でした。ラサール、東大とエリートを絵にかいたような弁護士でした」

「ともかく、自分の弁護をするつもりで事件の経緯をまとめながら、抗弁書の起案の素案となるものを書いて弁護士に郵送してました」

「えっ、自分で抗弁書を書いてたんですか?」

「はい、弁護士も驚いていましたね。こんなこと書いてくる被疑者は初めてです、って」

「ともかく、事実をベースにして、論点を明確にして、それを論理的に組み立てるという作業なんです」

「はあ・・・・」

「弁護士が気にしていたのは『本当にAさんはヤクザのMと詐欺の共謀の打ち合わせをしたんですか』ということでした」

「していないんでしょ?」

「はい、暴力団組長のMとは1回しか会っていませんし、その時の打ち合わせでは『嬉野と久留米で教室を開講しよう』ということしか決まってなかったんです」

「でも、取り調べであなたはその1回の打ち合わせの際『出欠をごまかす打ち合わせをした』と供述してますよね」

「はい、その時は私以外にMを有罪に持ち込む供述するには誰もいないことはわかってましたし、刑事も検事も私に頼ってましたから。取り調べの最中はMを有罪にすることが正義と思い込んでました」

「でも弁護士から『Aさん、いくら相手がヤクザでも事実を曲げて有罪にもちこんではいけないですよ』といわれて、そうだな、と思い直したんです」

「でもそこが今回の事件の核になるんでしょ?」

「はい、私の供述しか刑事も検事もMを有罪にもちこむ手段はなかったんですから」

「でもよく考えて下さい。私はMとは『地元の有力者』といわれて人からの紹介で1回しか会ってませんし、共犯者は他に40人にもいるのに、他の共犯者から何の供述も取れないこと自体がおかしんですよ」

「う~ん、それでは裁判は紛糾するのではないですか」

「はい、そうなんですけど、Mを有罪にするのは検察の仕事であって、私は事実をいうだけです」

「それはそうですね」

「接見禁止中の6か月間は大変きつかったんですけど、実はこの間の生活習慣が今の生活のベースになってるんです」

「へえ、今でもそうなんですか?」

「はい、まずは粗食になりました。拘置所の食事は3割麦が入った麦飯ですが、今では玄米食です。
また、拘置所内では腹筋、腕立て、スクワットを1日100回やってましたが、それは今でも続いてます。
それに座卓で勉強する習慣、布団を四隅をあわせて畳む習慣など、ここでの生活がベースになってます」

「生活習慣が矯正されたんですね」

「まあ、そうですね。それに宗教をもちえたことも大きいです」

「カトリックの洗礼を受けたんですね」

「はい」

 

Aさんとの対話はまだまだ続く。

To be continued・・・

実は・・・実話⑥-12

A君が収監された独居房は

トイレ付の三畳一間。

与えられているのは横幅80cm、奥行き50cmの座卓のみ。

A君の部屋の階は幽霊が出ることで有名な福岡拘置所C棟3階。

A君は当時のことをこう述懐している。

「つらかったですね」

「なにより家族と連絡がとれないことが一番こたえました」

「でも弁護士とは連絡できるんでしょ?」

「はい、そうなんですが、週に1回、それも30分だけですよ」

「運動はどうしてたんですか?」

「午前中15分、午後15分ほど運動できますが、

私は接見禁止だったんで、運動の時も

6畳くらいの上も金網が貼ってある鳥小屋みたいな部屋で運動してました」

「しかも、軽度の糖尿と診断されてましたから

成人男性に必要な1日2000キロカロリーの半分、1000キロカロリーの糖食をたべていましたので、体重はみるみる落ちていきました。」

「出所時には腹筋割れしてましたね」

「独房内での生活はどんなでしたか?」

「なにしろ3畳一間でテレビはありましたが、裁判のための準備以外に何もやることなくて、ともかく当初は私を暴力団組長に紹介した嬉野町のY君や、教室責任者のXやHのことを恨みましたね」

「でも、いくら恨みつらみをいえども、三畳一間の独房では愚痴る相手もいないんですよ」

「そうしていくうちにだんだん辛くなってくるんですね」

「そして、気が付くんですよ。自分を苦しめているのは自分の感情だと。
なにしろいくら恨みつらみをいっても置かれている環境は三畳一間の独房ですから、何もできないんですね。
すると、自分の感情だけが、自分に圧し掛かってくるんですよ」

「まあ、そうですね」

「つまり外界というのはあくまでトリガーで、それに想起された自分自身の感情が自分を苦しめているんだと思うようになったんです」

「たとえてみれば、海におぼれていて、岸まで泳ぎ切ろうとするときにピストルやナイフを身に着けますか?」

「いや、それはないでしょう」

「そうですよね。溺れているときは、まずは身軽にすることが大切ですよね。
それでそれまで負担になっていた負の感情を徹底的に削ぎ落としていく内的なプロセスに入っていたんです」

「なるほど」

「自分のなかの負の感情を削ぎ落として行くと、シンプルな感情だけが残るんです」

「なんですか」

「愛と希望です」

「いや、いや、それはちょっと クサイのでは??」

「まあ、そう思うんでしょうけど、少し考えてみてください」

「もし、あなたが、誰とも話せず、だれかに一度だけ、言葉を伝えることができるとしたら、だれに何を伝えます?」

「う~ん・・そうですね、妻と子どもに伝えたいと思います」

「何を伝えます。ただし一言だけといわれれば」

「あなたたちを愛している、と伝えます」

「そうでしょう?それが自然な感情なんだと思います」
「それで私は古今和歌集を買って、恋歌を書き始めたんです」

「それで恋歌を書いているんですね」

「そうですね、気障に思われるでしょうが、愛している人に愛していると伝えられるだけでも人は幸せなんですよ」

「まあ、Aさんからすればそうでしょうね」

「もうひとつ大事なのは『希望』です」

「なんかさらにクサイんですけど・・・」

「でも、これもよく考えてください。自身が身体的に拘束されている状態が6か月間続いたとしたら、まあ、それも6か月後には自由になれるとして、拘束されてある期間は何を考えますか?」

「やっぱり、自由になったら何をしようかと考えます」

「そうですよね。たとえばすき焼き食べよう、とか、焼き鳥屋に行こうとか、そんなことでも想像しながらなら、現状のつらい期間は何とか頑張って耐えよう、と思えますよね」

「まあ、そうです・・・」

「それもやっぱり希望なんですよ」

「う~ん・・・・」

「私の場合もいずれ社会復帰するわけですが、社会復帰したら何をしようかと考えたんです」

「ふ~ん・・」

「それで80歳までの人生計画をたてたんです」

「へえ!!」

「それで、座卓で勉強しはじめました」

「はあ、それが始まりなんですね」

「そうですね。座卓での勉強の習慣はいまも続いてます」

「それに、身体的に拘束されてますから、自由は頭の中にしかない、という考えにいたったんですよ」

「なるほどですね」

「思考することの自由、それだけが真の自由だという持論はここで形成されました」

「そうなんですね」

「ただ、これは出所後、社会復帰してからわかったんですが、刑務所を出所して、順調に社会復帰した人のほとんどが、こうした私みたいな自分自身の心の深い部分にまで探っていって心の回復をなしていった人がほとんどだったのです」

 

「はあ・・・」

「つまり、罪を犯した人の社会復帰の起点はまずは『心の回復』なんですね」

「そうなんですか」

「そうです。これはいくら強調しても強調しすぎることはないんですが、元受刑者の社会復帰の一番肝心なことは『心の修復、心の回復』なんです。それがまず第一なんです」

「ですから反省とか矯正なんかは実質、まったく意味ないと思います。心の修復、回復がないとを罪を犯した自分自身の内部はかわりません。」

「そうなんですか・・・」

「まあ、そうなんですが、このことについては、いずれ別の機会にお話します」

「ありがとうございます」

Aさんとの対話はまだまだ続く・・・・

To be continued・・・

実は・・・実話⑥-11

A君が移送された先は福岡拘置所、
しかもC棟3階であった。
C棟3階とは独居房であり、
A君は接見禁止を言い渡されていた。
接見禁止とは弁護士以外、
誰とも会えないことであり、
家族との手紙のやり取りも禁止されていた。
つまり1日だれとも話せない日々が
結局6か月間続いたのである。

さて、C棟3階が独居房の階であることは
つまり、死刑囚もその階にいるわけである。
A君の階には北九州市で連続殺人の罪で死刑が確定した
松永死刑囚がいた。

松永はすでに気がくるっており、
髪は伸び放題、
部屋の前にはついたてがおかれ
外部からは見えないように遮断されていたが、
自傷行為防止のため、ビデオカメラが設置され
1日中監視されていた。

この階は幽霊が出ることが噂されていた。
実際、A君は何度も金縛りにあった。

A君、血液検査の結果、
軽度の糖尿病と診断され、
1日1000キロカロリーの
(成人男性の場合、平均2000キロカロリー)
糖食を供されることになった。

A君、1日誰とも話ができない状態が
その後6か月間続くのであるが、
このことがのちにA君の生活習慣、
人生観を大きく変えることになる。

さて、1日誰とも話をしない生活が6か月間続くとどうなるか?
その内的変化についてはまた、のちほど。

To be continued・・・・

実は・・・実話⑥-10

さて、A君、刑事の執拗な取り調べ、
「Aさん、いっしょにMをやっつけようや、
あいつが一番悪いいんやろ?」
「思い出せんかったら、絞りだせ」
というセリフに結局折れてしまった。

A君からすれば自分が暴力団組長Mに関する
なんらかの有罪に持ち込む供述をしないと
自分がMをかばっているようにも思われるのもしゃくだし
かつ、それが正義だと思うようになった。

そして、結局、暴力団組長と
「生徒が休んだ場合、出席をごまかすこともできる」
という会話をした、と供述してしまった。

しかしA君、その後も逡巡する。
「事実でもないのに、あんな供述していいのか?」と。

悩んだ末に
検事に対して素直に申し伝えた。
「いや、検事さん、久留米のファミレスでMと会った時には
久留米と嬉野で教室を開催することしか話さなかった」
「そこで出欠をごまかすという相談はなかった」と。

実際、A君は教室開催後、
生徒の出席があまりに悪いので
困りきって教室責任者に
「遅刻は大目に見るが、欠席をごまかすことはできない」とメールで送っていたからだ。
このメールが後に裁判で重要な証拠となる。

しかし、取り調べの検事、
顔を真っ青にして
「いや、Aさん、いまさらそういっても困る」
「そんなこといわれたら、
いままでの供述のすべてがおかしくなるじゃないですか」

「いやね、Aさん、
Aさんが暴力団の仲間とは全く違う流れにっていることはわかってるんですよ」
「Aさんが集めた生徒の出席はいいし、
かつ、あなたが生徒に対して『欠席をごまかしてもいい』という発言を一切していないこともわかっている」

「Aさんと暴力団の組織的な動きとは全く違うので
それを同じにすることはない」

ここまでいわれると
(じゃあ、組長のMを有罪に持ち込む証言をしたら求刑は軽くなるのかな?)
とA君は思ってしまった。
ところがのちに検事はとんでもない求刑をするのだが・・

A君、連日8時間に及ぶ取り調べ、40日間の生き地獄を経て
拘置所に移送になった。

しかし、A君が移送された拘置所は
まさしく幽霊が出ることで有名な福岡拘置所、
そのなかでも最悪のC棟3階であったのだ

To be continued・・・・