DNA=Divine Natural Awareness 「聖なる自然の知恵」

DNA、それは遺伝情報の継承と発現を担う「デオキシリボ核酸(deoxyribonucleic acid)」のことを指します。

しかし、私自身はDNAのことを人間本来に埋め込まれている知恵、
「Divine Natural Awareness (聖なる自然の知恵)」ではないか、と考えています。
遺伝子情報としてのDNAとは
すなわち、「Divine Natural Awareness (聖なる自然の知恵)」でもあるのではないかと・・・

永遠の生命と輪廻転生を信じている私にとっては
人は生まれながらにして、
本来、生きていくに必要な知恵を有していると考えています。

人はおそらく深く自分の心のうちに深耕していくことで
実は自身のうちにある知恵に気づくのではないか、と思うのです。

これは私自身の経験にもよっています。
私は5年前、6か月間誰とも話すことができず
孤独のうちにありましたが、
この間、深く自分自身と対話することで
自分のことを理解でき、その後何をすべきか
はっきりと見えてきたからです。
このことが今の自分の基盤となっています。

現実の生活では様々な悩みも多いのですが
ことの本質は
「自分は何か」「何をやるべきか」
このことのもっともコアとなる自分に出会うことで
多くの問題も解決されていくものと確信しています。

さて、こうした考えをもつことで
不思議なことに
やはりそうした考えを進化させていく書物に
出会うことも多くなりました。

ひとつは河合隼雄氏の「ユング心理学」
また、禅の思想、特に
河合隼雄氏も深く論及している「牧牛図」の解釈は
いまの私の死生観と一致しています。

そしてまた、
量子物理学における様々な現象、
特に「量子もつれ」の現象は
(対になる量子はどれほどの距離が離れていても同じ動きをする現象)
ユングのいうシンクロニシティ(共時性)と一致し、
神の存在を信じる私にとって
物理学においても神の遍在を感じさせる証左でもあります。

私たちのうちにある
「DNA=Divine Natural Awareness (聖なる自然の知恵)」に触れることこそ
多くの問題の解決にいたる起点であると確信しています。

50代の体づくりを考える

敬愛するT先輩が腰痛で通院しているそうだ。
50を過ぎると、50肩や腰痛など体の不具合が顕在化する。

幸か不幸か(笑)
自分の場合、強制的に午前中15分
午後に15分、運動していた時期があり(笑)
その間、午前中はスクワット、腹筋、腕立てをそれぞれ50回ずつ、
午後は同様のメニューをこなしていた。

つまり1日、
スクワット、腹筋、腕立てをそれぞれ100回ずつ実践していたのである。
この生活習慣は現在も継続しており、
結果、そこそこスポーティーな体型をキープしている。

50肩や腰痛も経験があるが
ふだんに筋トレをやっているせいか
回復も早い。

高齢化すると
まずは筋肉が衰えてくる。
特に足腰の筋肉が衰え、
車いすを使うようになると
運動量が少なくなり、
ますます筋肉は衰える。

50代を過ぎると
筋力をつけ、筋肉をつけていくことは
健康を維持するうえで必須と考えている。
また老眼を防ぐためにも
顔ヨガは欠かせない。

50代の体づくりのためにも
筋トレは必要だと思う。

死について考える

50代も後半に差し掛かると
やはり自らの死について
考えるようになる。
特に両親とも他界した現在、
死はより身近なテーマとなった。

「人生の後半は死に向かう生を生きる」
こういったのは元文化庁長官で
ユング心理学の大家、河合隼雄氏である。
河合氏はだからこそ、人生の後半は
宗教的視座をもつことが重要と指摘している。

死生観をもつことは必然的に
宗教的思考へと導かれていく。
このことはつまり宗教的視座をもつことと同義であろう。

「苦難と死は人生を無意味なものにはしません。
そもそも苦難と死こそが人生を意味あるものにするのです」
こういったのは
アウシュビッツから生還した
医師ヴィクトール・E・フランクルである。

フランクルは死をネガティブなものとしてではなく、
生にポジティブな意味を与える「何か」としてとらえている。
若干、ニュアンスは異なるものの
自分の死生観における死の意味合いも
巷間いわれるようなネガティブな意味合いではなく
ポジティブな意味をもったものとしてとらえている。

そう考えるのも
輪廻転生を信じ、
普遍の生命を信じているからでもある。

端的に言えば
「死は新たな生への入り口」というイメージなのである。

もちろん、一方で、
事故や事件、災害や病などでの夭折
といった死はいたましいが。

死とは何か、と考えることは
宗教的な思考にならざるを得ない。
しかし、そう考えることで
現在の生の意味を再考することができる。

生きている意義と
生かされている意味について

これから何をやるべきか・・・
人生の後半は
自分が生きている意味を考えながら
明確な目的をもって生きることが必要になる。