天山にみられる風水の痕跡

佐賀県北部にそびえる天山山脈。
「天山」という名称が秀逸です。
名前だけ見れば、霊峰「富士山」に勝るとも劣らないネーミングでしょう。

さて、この天山と同じ名称をもつ山脈が世界にもうひとつあります。
中国北西部、中央アジアに連なる「天山山脈」。
まるでこの中国北西部の「天山山脈」を知る渡来人が佐賀にきて「天山」と名付けたような名称です。

実は、この佐賀北部、天山一帯は風水によるまちづくりの痕跡がみられるのです。
まるで古代日本で風水の知識をもつ人物が計画したかのように。

風水によるまちづくりとは「四神相応の地」の形成です。
「四神相応」とは
東~青龍、南~朱雀、西~白虎、北~玄武

この風水と古代神道のアニミズムが融合し、古代日本では以下の解釈が生まれます。
東~青龍=神籬(ひもろぎ)~神籬は清流が走る豊かな森。だから青龍。
南~朱雀=靈(ひ)~靈は赤く照り輝く陽光。だから朱雀。
西~白虎=磐座(いわくら)~磐座は力強く白き岩山。だから白虎。
北~玄武=神奈備(かんなび)~神奈備は玄き武き山。だから玄武。さらに、その真上に輝きを放つ北極星。

天山のふもと、天山酒造の酒蔵がある地域を「岩蔵」といいます。
おそらくこれは「磐座(いわくら)」に由来するものでしょう。
すなわち白虎。
そして北の玄武は「天山」。

東の青龍、南の朱雀はどこか、おそらく佐賀県内のどこかにその痕跡はあるものと思われます。

さて、こうした佐賀北部、天山山脈にみられる風水の痕跡をみると、
この地域に風水の知識をもつ中国の渡来人がなんらかの風水による結界を形成した、とも考えられます。
それはだれか???

私が思い浮かぶのは徐福です。
徐福が日本にもたらした多大なる影響。
これを検証していくと、その影響がいまでも日本文化の底流に脈々と流れていることがわかります。
※参考図書:「棄てられた謎の神 ヒルコ」(戸矢学著)

佐賀藩のアームストロング砲が世界最強だった話

鍋島直正公がイギリスから輸入されたアームストロング砲を見本に日本初のアームストロング砲を製造したことは有名な話。

ただ、どうもこの佐賀藩が開発製造したアームストロング砲は当時世界最強だったようです。

佐賀藩は砲身に鉄ではなく、日本刀に使われる鋼を使ったようです。
鉄と鋼の違いは炭素の含有率の違いで、含有率が低い鋼は粘性が高く、強度が高いのです。
砲身の中をらせんでくりぬき、砲弾を回転させ、飛距離を伸ばす、というのがアームストロング砲の特徴ですが、その砲身に佐賀藩は鋼を使うことで、強度を高め、そのため、砲弾を発射させる火薬の量を増やすことで、さらに飛距離を伸ばしたそうです。

これは、イギリス製のアームストロング砲よりも1.5倍の飛距離があったそうで、さらにいえば、イギリス製が1分間に3発が限度だったものを佐賀藩は1分間に5発発射させることに成功、これだけでも世界最強です。

しかも、砲弾に散弾を内包させ、着弾時に散弾が飛び散り、破壊力も増したそうです。
イギリス製の砲弾が単純に火薬の爆発による爆風で破壊するのに比べ、佐賀藩のアームストロング砲はちょうど打ち上げ花火の火花の飛散の仕組みを応用し、散弾が均等に散らばるように設計したようです。

つまり、佐賀藩のアームストロング砲は飛距離、1分間あたりの発射数、着弾時の破壊力、それぞれ世界最強だったのです。

伊万里「西念寺」~心のシルクロード~

【伊万里「西念寺」~心のシルクロード~】
もう30年ほど前のことになりますが、佐賀新聞紙上で「心のシルクロード」の題名で伊万里「西念寺」の住職、井手さんと「佐賀カトリック教会」のイタリア人神父、アレグリーニ・アレグリーノ神父との往復書簡が連載されていました。

実家の菩提寺でもある伊万里「西念寺」。
その井手住職は東大インド哲学科卒業のインテリ。
お寺を継ぐ息子さんも慶応卒、東大インド哲学科修士課程卒のインテリ一家。

井手住職、名前は恵さん。
東大を目指す受験生が鎬を削る通信教育のZ会で上位に名前が挙がったことから、東大合格後、周囲は才色兼備は「恵ちゃん」が入学したと色めきだったところ、来たのは男子学生の井手住職。
周囲はがっかりしたのだそう・・・・

井手住職は地元では様々なイベントを開催する文化人でもあり、原口議員の心の師でもあります。
地元伊万里ではお寺で文化人の講演やコンサートを催されており、宗教家であり、かつインテリでもある井手住職の面目躍如。
井手住職とアレグリーニ神父の共著である「心のシルクロード」はどういうわけか美智子皇后(現、美智子上皇)の目に留まり、宮内庁を通して、美智子皇后から電話があったそうです。

かなり長い間、電話で話されたらしく、美智子皇后の皇室での生活でとても苦労が多いらしく、「嘆き」のようなものを感じたそうです。

西念寺は浄土真宗。
キリスト教と浄土真宗はともに「救済」を教義としていることもあり、親和性の高い宗教。
私は実家の菩提寺である西念寺にも佐賀カトリック教会にも通ってますので、双方の説法を聞いてます。

還暦を過ぎると、両親も他界し、程度の差こそあれ、自らの死を意識することもあり、このことはすなわち、宗教的視座をもつことと同義であるでしょう。
幸い、私の場合、某施設で、仏教では真言宗、黄檗宗、臨済宗、曹洞宗、浄土宗、浄土真宗、キリスト教ではパブテスト、キリスト教団、カトリック、そのほかは天理教など、イスラム教を除く宗派の説法を聞いています。
共通しているのはやはり「いま、生きている人たちの心の救い」としての宗教です。

宗教の存在意義が希薄になっている現在、「いま、生きている人のための宗教」という観点から、ご自身の菩提寺の僧侶の方の説法を聞いてみるのもいいかもしれません。

昔々、白石町は海の街でした・・・

佐賀県白石町。農業のまちです。

白石町福富にある「道の駅しろいし」は有明海沿岸道路の福富インターを降りてすぐにあり、平日休日を問わず、多くの来店客でにぎわっています。
そこでは、地元白石町で採れる新鮮な野菜を購入することができます。
れんこん、いちご、とまと、レタス、ブロッコリー、カリフラワー、たまねぎ、長ネギなど。
キノコ類やもやしを除けば日常生活で食するほぼすべての野菜を買うことができます。

今では農業の町として知られる白石町も、古くは海を生活の基盤とする海人族の町だったようです。
白石町龍王崎に鎮座する「海童神社」。
そこに祀られてある祭神は豊玉姫命、豊玉彦命、埴安姫命。豊玉姫は海神(龍神)の娘です。
「龍王崎」という地名からもわかるように、おそらくここは古くは有明海を眼前にみる地域だったのでしょう。
また、この「龍王崎」には古墳もあり、つまり、海を眼前にしたこの地域は、動物性たんぱく質を得るために、有明海の魚介類を獲り、食料を得ていた海人族の地域であったと考えられ、「海童神社」は豊漁と海の安全を祈願する神社であったと考えられます。

「海童」と名付けられた神社は有明海沿岸地域によくある神社(熊本にもあります)で「海童」と書いて「わたつみ」と読むとこともあるようです。

「わたつみ」とはおそらく元々は「海人津見(あまつみ)」であったでしょう。
「あまつみ」が「わたづみ」に転訛した、と考えると、「あづみ」もまた「あまつみ」からきているものと考えられます。

そういえば長野県安曇野市。ここは九州の志賀島を中心とした海人族が移り住んだといわれています。
「あまつみ」の人たちが移り住んでいたことから「あずみ」「安曇野」になったのでしょう。
実際、安曇野市内にある「穂高神社」の祭神は穂高見命(ホタカミノミコト)、綿津見命(ワタツミノミコト)と瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)であり、綿津見命(ワタツミノミコト)は海の神様です。
また、「穂高神社」で催される御船祭は船を模し山車をぶつけ合う祭です。

こうしたことからも海人族が海上交通の利便性を利用して広範囲にわかる生活圏を築いていたことがわかります。

神社の由来はその土地にまつわる古くからの記憶を今につたえているのでしょう。
身近な神社を調べてみるのもいいかもしれません。

佐賀県白石町海童神社
長野県穂高神社御船祭

「人が死んで神になる」神道の不思議???

周囲の影響もあり、何はともあれ、私はカトリック系クリスチャン。
しかしながら、実はイスラム教を除く、多くの宗教の説法を聞いています。
真言宗、黄檗宗、曹洞宗、臨済宗、浄土真宗、天理教など。
キリスト教でもカトリック以外にパブテストやキリスト教団などの説法も聞いています。

キリスト教の一神教はちょっと日本人には無理があるかなあ・・という感じ。
仏教も多神教のようなもの。
阿弥陀仏や弥勒菩薩、不動明王など仏神は数多く。

日本古来の宗教、神道もまた八百万の神々の世界。
ただ、神道が不思議なのは「人が死んで神になる」という思想。
靖国神社もそうですが、戦死者が英霊として祭神となり祀られています。
こういう思想は他の宗教にはみられません。

ということは、人はそもそも神性を宿している、ということでもあります。
日本人の思想としてはその神性は人のみならず、自然界のすべてに宿っている、という考えかと思われます。
仏教にもそういう思想はあり、人それぞれに根源的な仏性を宿していると考えます。

しかし、「人が死んで神になる」というのは神道独自の思想でしょう。
日本古来のこうした思想はおそらく、私たちの生活文化に息づいているように思えます。