犯罪被害者支援サポーター養成講座<3歳の娘を殺害された被害者遺族①>

佐賀県が主催する犯罪被害者支援サポーター養成講座の第4回目。
第一部の講座は7年前ひな祭りの日に
3歳の娘を殺害されたSさんの話だった。
スーパーで娘さんがトイレに行った際、
後ろからつけてきた男から襲われ、
リュックにつめられ、川に捨てられた。

犯人は20歳の大学生。
判決は無期懲役。

Sさんには3人の息子さんがおり、
娘さん殺害後、息子さんにも様々な異変が生じたそうだ。

一時は一家心中を考えたものの
警察からの被害者支援のサポートを受け、
心療内科での治療を受けながら、
徐々に落ち着いていったそうだ。

裁判所で犯人を殺害し、
自害しようとも考え、
その思いを心療内科の医師に伝えたところ
次のようにいわれたそうだ。
「やってもかまいませんよ。
しかし、それではあなたも殺人者になります。
それで奥さんやお子さんは喜びますか?」

この言葉でSさんは思いかえし
新たな生き方を模索することになる

 

佐賀市若宮町の寿司割烹「いち善」の花籠弁当

今日は、クライアントの方と 佐賀市若宮町にある寿司割烹「いち善」で ランチをいただきました。 注文したのは「花籠弁当」 1500円ですのでプチ贅沢なランチですが 「上質な普通生活」を標榜する私としては ここいらが上限かな、と。 薄味の上品な味付けで 店内も清潔、上品なつくりでした。 ご年配の女性が多く、まあ、そういうプチ贅沢なランチを楽しみたい人にはぴったりなお店です。
花籠弁当(1500円)
花籠弁当のデザート

人格攻撃をネット上でする人たちに関する一考察

きれいごとをいうわけではないが、
私自身、言葉はとても大切で
何しろ6か月間の接見禁止を受けた経験があるゆえに
その間、家族とも誰とも会話をすることがなく、
それゆえ、
自分にとっての言葉は
愛に満ちた言葉、
希望に満ちた言葉、
知恵に満ちた言葉、
そしてほんの少しのユーモア、
それだけが大切で
それ以外は不要である。

ネット上で人格攻撃をする人たちがいる。
もちろん、相手側にも非があるだろうが
しかし、こうした人たちの病理性は
相手に非があることを免罪符にして
自身の病んだ部分の不満解消の手段のごとく
延々と相手の人格攻撃を続けることだ。

「自分は正しい。悪いのはあいつだ」
という単純な構図でもって
攻撃対象が悪く、
自分は正しいと主張し、
共感を得ようとする。

しかしながら、こうした人たちの多くは
「自分は正しいのに認められていない」という
ゆがんだ自己承認欲があり、
事実、「自分は正しいことを言っているのに閉職にいる」
といった人物もおり、
つまり、心は病んでいるのである。

こうしたゆがんだ自己承認欲を持つ人たちは
だれか攻撃対象となる人物を攻撃することで
「あいつは悪く、自分は正しい」という図式の中でしか
自身のアイデンティティを持ちえないという
病的な心理状況にあるのだ。

一方、罪を犯して
そこから健全な再起を果たした人の多くは
自分自身のことを深くみつめ
心の奥にある病んだ部分を
修復することで新しく自分を再生していく
という心のプロセスを経ている。

自分の心の奥深くにある病んだ部分を
真摯に見つめ、そこを修復するという
心のプロセスには痛みを伴うこともある。
例えば、幼少期に親からDVを受けていた場合。
思い出したくもない過去を思い出し、
さらにそうしたつらい過去を受け入れるという
心のプロセスも必要になるからだ。

自分の病理性を真摯に見つめ
修復するからこそ
再起ができるのである。
それが起点である。

しかし、
人格攻撃を執拗に続ける人は
「相手が悪く、自分は正しい」という構図の上でしか
自己承認欲を満たせないがため、
自身の心の病んだ部分を真摯に見つめようとしない。

よって、
こうした人たちは
自分の病んだ心を修復する機会を
自ら捨て
あくまでも
「相手が悪く、自分は正しい」という
構図の上で、
相手の人格攻撃をするとことでしか
自己承認欲をみたせないのだ。

つまり
彼らの心はいつでも病んだままだ。

「汝、復讐することなかれ」
聖書の言葉だ。

自身が人格攻撃されたからいうわけではない。
何度も言うが
自分の病んだ心を修復しない限り
罪のスパイラルの中で
延々と罪を犯し続けるだけだ。
それは法的な罪ではなくとも・・・

ただ、それでは本人が救われないだけである。